捨てたあとに始まる、“見えない痛み”

Vol.5 ― 廃棄物が社会と環境に与える、もうひとつの代償 ―
近所にごみ焼却施設や埋立地ができると、私たちは不安になります。 におい、景観、有害物質…誰しも「できれば避けたい」と思うのではないでしょうか。
しかしながら、アジアやアフリカの多くの都市では、それが「当たり前の風景」となっています。 都市の外れた郊外、あるいはその真ん中に、「ごみの山」が静かに、確実に積み上がっているのです。
それは単なるごみではありません。私たちの生活の“その後”です。
1|“地中に隠された痛み”
私たちは「埋めれば終わり」と思っているかもしれませんが、廃棄物は土の中で、じわじわと社会や環境を蝕んでいきます。
- ポリエチレン製レジ袋:自然分解までに500〜1000年
- 電子機器(E-waste):多くは分解せずに残留し、有害物質を周囲に放出
- プラスチック全般:光・熱・水によって分解されるとマイクロプラスチック化
そしてそれはやがて、次のようなかたちで私たちに跳ね返ってきます。
ごみの埋め立てや焼却が、見えないかたちで人の健康を脅かしている現実。 特に、埋立地やリサイクル処理施設の周辺に住む人々が、そのリスクを最も強く受けています。
2|“捨て場所”はどこにあるのか?
私たちが出したごみの多くは、見えない場所へと姿を消します。 けれど、それはただ別の誰かの暮らしの中に移動しているだけです。
- 日本で排出された古着の多くはアフリカへ
- 使用済みの電子機器はアジアの非公式処理場へ
- 廃プラや食品包装ごみは東南アジアの海岸や村の空き地へ
たとえば、フィリピン・マニラのスモーキーマウンテン。 あるいは、ガーナ・アクラ郊外のアグボグブロシ。 そこには、ごみで生計を立てる子どもたち、煙の中で作業する妊婦、毒性に苦しむ人々の姿があります。
私たちの「便利な暮らし」の裏で、誰かが“代償”を支払っているのです。
3|なぜ廃棄が止まらないのか?
ごみ問題は単なるマナーや分別の問題ではありません。 その背景には、構造的な仕組みが存在しています。
- 製品が「すぐに飽きられ、壊れ、陳腐化するように」設計されている(計画的陳腐化)
- ごみ処理のコストは、消費者や自治体が“後始末”している
- 製造や販売の段階で「廃棄後」を考慮しない経済構造
スマートフォンは毎年のように新モデルが登場し、 プラスチック容器は毎秒何千個も生産され、 その多くが使い捨てられ、行き場のないまま地球を漂流しています。
4|問い直す:「つくること」と「終わらせること」
では、私たちは何を問い直せばよいのでしょうか?
まずひとつは、「買うこと」の先にある未来を想像すること。 それがどこで、どうつくられ、どう終わるのか。
もうひとつは、設計と経済のあり方そのもの。 “捨てること”を前提にした社会から、“捨てない設計”へと転換する必要があるのではないでしょうか。