世界の「見えないごみ戦争」
Vol.8― 廃棄物はどこへ行くのか?誰が犠牲になっているのか? ―
誰かが使い、誰かが捨て、そして誰かがその代償を背負っている。 いま世界では、私たちが見ないふりをしてきた「ごみ」の問題が、深く静かに進行しています。
■ はじめに:「捨てたあとの世界」が、私たちの視界から外れている
私たちは日々、ごみを出しています。 家庭で分別し、ゴミ収集車に託し、処理されたものとして忘れていきます。 しかしそのごみは、ただ“消えている”わけではありません。 中には海を越え、数千キロ先の国々へと移動し、そこで「環境問題」や「健康被害」というかたちで再び現れるのです。
■ 世界で発生するごみの量(現状と予測)
- 2020年:年間 約23億トン(世界銀行調べ)
- 2050年予測:年間 約34億トン(+70%)
これは、1年で大型トラック約1億台分のごみが排出されている計算になります。 およそ1分に約200台分のごみが世界中で発生しているとも言い換えられます。
しかもこのうちの約3分の1は、適切に処理されず、環境中へと漏れ出していると報告されています。
■ 電子ごみ(E-waste)―― 最も価値が高く、最も危険な廃棄物
- 年間発生量:6,200万トン(2023年)
- 回収・リサイクル率:17.4%
これは、ジャンボジェット機(約200トン)を30万機分廃棄しているのとほぼ同じ量です。 その大半は、適切に回収もされず、埋め立てや野焼きにより危険な状態で処理されています。
たとえばアフリカ・ガーナのアグボグブロシー地区では、 子どもや妊婦が銅線を取り出すために電子ごみを燃やし、有毒ガスを吸いながら作業をしています。 金や銀といった貴金属が含まれている反面、その代償は非常に重く、取り返しのつかない健康被害を生んでいます。
■ ファッションの終着点――寄付のつもりが、ごみの輸出に
- 年間の衣料廃棄:約9,200万トン
これは、1秒に約2,900着の衣類が廃棄されている計算です。 想像してみてください。わずか1時間で約1000万着もの服がどこかに捨てられているのです。
しかもその多くは、「古着」としてアフリカやアジアに送られますが、 現地では着られない衣類が大量に集まり、埋め立てや河川投棄の対象となっています。 ケニアでは半分以上の衣類が着用不能と判断され、焼却または投棄されているという報告もあります。
■ プラスチックごみ――目に見えないかたちで、世界を覆う
- 年間発生量:約4億トン
これは、東京ドーム約1万個分の重量に匹敵します。
東京ドーム1万個分の面積は、約468平方キロメートルに相当します。
これは以下の都市とほぼ同じ広さです:
- 東京都23区(約627 km²)の約75%
- 大阪市(約225 km²)の2倍強
- パリ市(約105 km²)の4.5倍以上
- オランダ・アムステルダム市(約219 km²)の約2倍強
つまり、「東京ドーム1万個分」というと、「大阪市2つ分」や「パリ4〜5個分」を覆い被さるほどのプラスチックだけのごみが年間に発生しているという規模感になります。
しかも自然には分解されず、500年以上も地中や海洋に残り続ける素材です。
プラスチックの多くは「リサイクル可能」とされつつも、実際の再利用率はわずか9%程度にとどまっています。 大量に生産・使用された後、途上国に輸出されたプラごみの多くは、適切な処理がされずに山積みにされ、 焼却されたり、海へと流出しています。
■ なぜ、この構造は止まらないのか?
このような廃棄の連鎖が続くのは、ごみの「見えにくさ」と「コスト構造」が背景にあります。
- 分別をすれば“処理された”と思い込みやすい
- 国内での適正処理が高コストなため、海外輸出のインセンティブが働く
- 受け入れ国では規制が緩く、回収や再資源化が現地任せになっている
つまり、先進国は知らず知らずのうちに「見えない場所」に環境コストと健康リスクを押し付けているのです。
■ サーキュラーエコノミーが必要な理由
こうした問題は、技術や処理方法の話だけではありません。 それは「経済の構造」と「設計思想」に根ざした問題です。
サーキュラーエコノミーは、単に廃棄物を減らすのではなく、 そもそも「出さない設計」や「捨てなくて済む循環システム」を組み込む発想です。
- 製品の寿命延長、修理・再利用の仕組み
- 部品交換や分解がしやすいデザイン
- 生産者が廃棄責任を持つ制度(EPR)
- デジタルで追跡可能な製品パスポート(DPP)
- グローバルでの透明なトレーサビリティと協調
ごみの発生そのものを防ぐには、モノの作り方・使い方・終わらせ方を根本から見直す必要があります。
■ おわりに:「捨てたものの行き先」を想像することが、はじまり
いま、私たちが見ないようにしてきた「ごみのその後」に目を向けること。 それは、単に環境を守るためではなく、「誰かの未来を奪わないため」にも必要な視点です。